40歳くらいになると、もう自分の職種の仕事を一通りできるようになって、これ以上自分に望めるものはないと感じてきました。
そこで、選択肢2つに絞り、幹部になるか、現状の階級のまま定年するか、でした。
いつかは、操船したいと思っていたので、幹部の道を選択しました。
私がなるのはC幹部といって、いわゆる一般隊員からのたたき上げで幹部になる方法でした。
この先は、海上自衛隊を否定するものでなく、退職を誘導するものでもありません。
私の体験談であり、同じように悩んでる人に伝えたいことです。
上記の記事の続きです。
幹部になるための試験
一般隊員の一番上の階級になると、本人に意思とは関係なく毎年試験を受けないといけません。
幹部になりたくないのに、強制的にです。
意味がわかりませんよね。
上司との面談の結末
当時の上司に「どうせ受けるなら初回で合格して、すぐに幹部の学校に行きたいが、今乗ってる船の遠洋航海に行く時期と、その学校の時期が被る、私が抜けたら若い隊員しかいないので、そこが悩むところ」だと、相談しました。
すると上司は「幹部になるのは、組織としてもありがたいし、あなたの人生だから、そちらを選んでください、船のほうは経験のある人材をいれるので、心配しなくていい」と、とてもあたたかい言葉をいただきました。
なんていい人なんだと、こんな人と最後に出会えてよかったと感動しました。
それから、残された時間で私が持ってるものを部下や船に残したいと、仕事に励みました。
数か月後、遠洋航海も近づいてきたので、人事の話を聞いて、聞かされた言葉は
「あなたには、この船に残って遠洋航海に行ってもらいます」
はい?あの面接でのあたたかい言葉はなんだったんだ?
どうやら、私の人事の話を忘れていたようで、この時期から人事課に話を持ってても無理だと判断したか、面倒くさかったのか、知らんけど。
さすがにキレました、それから人事課にどうやって話を持っていったか知りませんが、人事課曰く「試験を受かっていないのに出すわけにはいかない」そりゃそうだ。
私は、もう長期でその船に乗っていたので、転勤の時期としては、いいタイミングでしたが、たぶん人事課の癇に障るような話し方をしたんでしょうね、知らんけど。
試験の内容と結果
たいていの人は、なりたくないので、何問か白紙で出したり、テキトーに書きます。
それでも受かる人は受かります。
要は、1人でも幹部を増やしたいからです。
一次試験の前に、希望か不希望かの調査があります。
強制的に試験を受けさせられるのにですよ。
一次試験は手ごたえはなかったけど、うわさどおりで合格。
次は、最終試験の面接です。
私は、いつか操船したいと思っており、幹部になったら操船できる、それだけのために幹部を熱望し、最後は小さな船の船長で退官しようと考えていますと、面接官に伝えました。
面接官も、私の熱意を受け止め終始笑顔で、手ごたえばっちりでした。
いわゆる初回の試験で熱望する人は、私のような明確な目標を持ったガチな人のみでほとんどいません。
こういう人は、ほぼほぼ合格します。
たいていの人は、面接でなにかと理由つけて何年も断り、最後はあきらめて自分のいいタイミングで行きますと言うそうです。
人間不信
「試験に合格しても、お前は遠洋航海に行かせて、冬の期で入校だ」でした。
もう私の交代者は船に来て、人数も定員数満たしてます、私が乗る意味ないし。
もう人間不信です。
初めての経験でした。
結局、無理やり船を降ろしてもらい、慣れない初めての陸上配置でしたが、初回の夏の時期に幹部の学校に行ける可能性を信じ、結果を待ちました。
そして、人事課からメールが届き、それは合格通知でした。
「ただの駒」だと感じた瞬間の絶望
メールの内容は、試験受ける前から言われていた、初回の夏ではなく冬の時期の入校でした。
それをを見たとき「あぁそうか、結局そうなのか」と、それほど衝撃はありませんでした。
戦いが終わり、敗戦
「一人でも多く幹部を」海上自衛隊という大きな組織(本社)の考えがあるのに、部隊(支店)の都合で、人の人生を…。
1人1人に構うのは大変でしょうが、それが仕事でしょう。
向き合わずに、ただの駒のように扱い、あちらからしたら「ただの駒のわがまま」なんでしょう。
これまでなら「あんな風にはなりたくない」「俺がそこに行って変えてやる」と反骨精神で頑張ったところですが、今回は、もうそんな気力すら残っていませんでした。
しかし、私は楽な道を行こうとしたわけではありません。
むしろ、多くの人が行きたがらない道に、自ら熱望して行こうとしました。
それすら、叶わないのかと絶望し、もうこの組織にはいられない、このままいても心がもたないと感じ、その場で、退職の意思をはっきり伝えました。
周囲からも「ゆっくり準備して冬の期に行けばいいじゃん」とか言われましたが、先述のとおり、現状の仕事に矛盾を抱えながら仕事をすることや、その他いろいろなことでモチベーションを保つことができない状況でした。
人は目指していた道が閉ざされたときにどうするか
一年以上も自分の人事について、いろいろな人と関わり、モヤモヤしながら新天地での毎日…、心のつっかえが取れたかのように、どこかホッとした自分がいました。
それと同時に、私を応援してくれ、それに働きかけてくれる人や、前の船を降りるときに盛大に見送ってくれた遠洋航海に行っている仲間たちに、とても申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
さてこれからどうするか?
路頭に迷うのか、違う道を考えるのか、現状を生きてくか、選択肢はいろいろあります。
私はなにか決断するときは、最悪なケースも考えています。
これはネガティブな考えではありません。
こうなった場合、こうする、こうしなければならない、とあらゆる道を考え、作っておかないと、人は立ち止まってしまいます。
一旦立ち止まって考えるというのも、一つの手段ですが、私には海上自衛隊以外という、別の道がありました。
海技資格を持っていたので「民間船の航海士」という道でした。
数年前に取得したときにか、まだぼんやりとした道だったのですが、幹部か民間船かを選択するときに、はっきりとした道になりました。
未練はあるのか
海上自衛隊を退職して、まもなく2年が経とうとしてます。
今思えば、あのまま冬の期に幹部の学校に行って、幹部自衛官になったとしても、幹部一年生からなので、言いたいことも言えないストレス、そしてさらに多くの矛盾や問題を抱えることになっただろう。
頑張れば「護衛艦の航海指揮官になって操船」「最後は練習船の船長」という夢は叶っただろうが、そこにいくまでどれだけ自分らしさを失うだろうか。
自衛官なら、自分のことより国のためだろって、入隊当初は思ってたんですけどね。
同じ悩みを抱える人へ伝えたいこと
職場の現状や自分の将来について、悩んでる人は相当いると思います。
当時の私は、
「今の自分に満足か」
「そもそも自分とはなんだっけ」
「これからの人生それでいいのか」
「定年は伸びるが、その後に満足できる報酬がもらえる企業はあるのか」
「定年後に、民間船で一年生から働く気力はあるのか」
と、焚火を見ながら考えたものです。
人生は一度きり
人生の航路を決めるのは、他人ではなく自分自身
そして、人生の舵を切るのは、まぎれもない自分なのです。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
ご相談はいつでも受けつけます。
